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嘉田由紀子参議院議員の海老川視察

更新日:2022年8月23日


8/2、かねてより海老川上流地区の開発問題に関心を寄せて下さっている、前滋賀県知事の嘉田由紀子参議院議員が、一度現地をご覧になりたいと、国会直前の超多忙な中をわざわざ船橋にお出で下さいました。


せっかくのご訪問なので、市や県の面々との面談のセッティングを試みましたが、急な訪問であったこともあり、市長、副市長からはスケジュールの都合で会えないと断られ、役所の幹部たちとの懇談会もコロナを理由に実現しませんでした。このため記者会見もなくなり、本当にもったいないことをしました。


嘉田由紀子氏といえば、滋賀県知事として日本で初めて「流域治水」という水防理念(*)を政策に落とし込み、県、市、市民、学識経験者などが協働して地域の治水を考え実行するシステムを作り上げた方です。流域治水が国の新しい理念となった今、それを実行する立場になった市や県は嘉田先生から多くのことを学べたはずです。


今回嘉田先生から伺ったお話を私たちだけにとどめておくのはもったいないので、後日ブログで書きたいと思います。今回は視察の概要のみ。



(*)流域治水の方法論の一つに、豪雨の際に川の水をわざと「川の外」にあふれさせ、本川の水位を下げて洪水を防ぐというものがある。それまではダムや川幅の拡張、あるいは堤防を高くして水を「川の中」に閉じ込める治水だった。地球温暖化で豪雨が多発するようになり、「もはやダムや堤防などのインフラでは洪水を防ぐことはできない」として、国は昨年(2021年)、流域治水へ転換した。その鍵になるのが川そばに遊水地を設けること



<洪水経験者の話を聞く>

視察の初めは、かつての洪水時代を経験した方のお話を聞くこと。その方は本町に住み、子どもの頃はすぐそばで蛇行しながら流れる海老川で泥遊びや鰻採りをして遊んだこと、高度経済成長期に入って人口が増え、川の整備が進んで洪水が増えたことなどを話して下さいました。そしてかつて人々が生活のために使っていた水車の跡地も見せてくださり、私たちもびっくり。海老川がまだ人々の暮らしと一体になっていた時代のことでした。


約30分、メモを取りながら熱心に取材する嘉田先生の姿は、まさに研究者(先生は環境社会学者でもあります)。またそこで海老川中流もご覧になり、その細さに驚いていらっしゃいました(海老川は1時間に30ミリの雨にしか耐えられない川)。またその後訪れた長津川も含め、海老川がコンクリートの護岸であるのを見て、「これでは生きものは住めませんね」とコメントされました。


<海老川上流地区を見る>

海老川上流地区では、一帯が低湿地であることや、支流が何本も海老川に流れ込んでいる様子を見て頂きました。これら支流は堤防のない水路のような造りになっており、大雨の時には川から溢れた水がそのまま周囲の土地に受け入れられるようになっています。嘉田先生は「ここを潰してしまえば下流があふれるのは火を見るより明らか。高度経済成長期のように市街化を進めるようなことはあってはなりません。これは行政の責任です」ときっぱり。



<昔の暮らしと伝統知を知る>


嘉田先生は行く先々で川とつながる人々の暮らしの跡を探していらっしゃいました。支流のひとつ宮前川に残る堰、向田橋に作られた稲刈りの様子を描いたレリーフ、福像とそれを立てた人々の名前・・・。海老川上流地区で先祖代々農業をしている方からは、海老川の水が汚れる前の時代についてお爺さんから聞いたという治水の工夫や共同体の様子について熱心に聞き取りをされていました。また30年前に大洪水時代を克服した記念に官民協働でつくった橋の飾り欄干や、子どもたちが一本一本植えた海老川ジョギングロードの桜並木を楽しまれました。


本当はもっと色々見て頂きたかったのですが、時間がなく残念でした。



嘉田先生は、「海老川では流域治水が必要です。これは本来県が主導するもの。県と市が責任をもって市民とともに流域治水を進めなくては」とおっしゃっていました。今後も嘉田先生のお知恵をお借りしながら、その道を探りたいと思います。けれどもまず県と市がその意識をもってくれなくては! そして、遊水地を潰すという愚かな今の計画を見直すことを願います。




*** 千葉テレビが嘉田先生の視察を取材しました。リンクはこちら。


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